「社会人大学人見知り学部卒業見込み」読んだ

こんばんは。

なんとなく本屋でオードリー若林さんの本を手に取った。ひらがな推し見てるからかな?
「社会人大学人見知り学部卒業見込み」を読んだ。
大学で歴史を専攻するような人間だから僕自身は捻くれた人間だと思う。哲学を専攻する人間の次くらいには。
捻くれた人間は他者からの承認を得られなかった結果から生まれるのだと思う。自分の今までを思い返すと承認を得られた生活なのかどうかは分からない。あまり人から褒められた記憶はない。テストで良い点を取っても褒められたことはない。走ることが苦手だったので「頑張れ〜!」と声をかけられることは何度もあったが恥ずかしかった。やはり承認された記憶は思い返す限りあまりない。承認されないと冷めた目で物を見るようになっていったように思う。
友達の有無関係なく、体育祭や文化祭で盛り上がる同級生を一歩引いてみてたし、学校の行事なんかはしょうがなく参加して、波風立たないように過ごしてきた。
大学時代に「25歳までに考えたことは自分の中では中心になる考えだし、大体正しい」と言われた記憶がある。
大体正しいかどうかはともかくとして自分自身を作る基本的な思想が出来上がるのが25歳までなのかもしれない。
だから、僕自身の中では一歩引いて物事を見る(本の中では俯瞰と言う言葉が何度も出てきたが)ことが、行動の中心にあったのかもしれない。
本書の中では以下のような言葉があった。

本はビート板や杖の役割しかできない。本を読むだけでは人生変わらない

引用してるわけではないので適当である。この本を読んだからといって明日からの人生が変わるわけではないが、共感ばかりだった。
若林の性格はめんどくさいと思ったが、自分のことを読んでいるようにしか感じなかった。
波風立たないように過ごしてきた自分と我慢できない人間の違いでしかない。

いわゆる「デキる人」や「コミュ力の高い人」はどう考えているのか皆目見当もつかないが、僕はどうしても物事を俯瞰してしまう。
物事を俯瞰している自分は、社会一般から考えるとどうしようもない考えを持っている。
僕は「どうしようもない考え」に対して、波風立たないように社会性を持った役割を自分自身に与え、生きて行くしかない。
でもそれでいいのだと思う。
結局僕も人とかかわりたいのだと思う。ただ、俯瞰している自分が人との関わりを拒否したくなるだけだ。関わる相手が自分を承認してくれるかわからないからだ。自分を変えることは難しい。まずは自分を見つめることから始めてみよう…とは思う。

人間生きてることが存在して良い理由なので明日も可愛い女の子に可愛いっていう職業につけるように頑張っていきます。